

1945年
今から57年前、日本は第二次世界大戦の真只中でした。
世界中を巻き込んだ戦争で、日本も戦火に包まれ多くの命が奪われました。
その年の8月6日、広島に原子爆弾が投下され
14万人以上の人が一瞬にして亡くなり、広島のまちを焼き尽くしました。
その3日後、8月9日には長崎にも原子爆弾が投下され
7万人以上の人が亡くなり、長崎のまちも焼け野原となりました。
そして8月15日、日本は降伏し第2次世界大戦は終わりを告げました。
2002年
2月17日、広島平和記念公園の原爆の子の像前に
捧げられていた5万羽以上の折鶴が
何者かによって放火された。
俺たちは怒り悲しんだ。
自分たちが大切にしているものを踏みにじられた気がした。
負けたくない・・・・。

俺たちは毎年、各地の仲間の協力の下
鶴ラリーをやっている。
全国から寄せられた折鶴を広島から長崎へ届けている。
(詳しくは鶴ラリーのレポートをご覧ください)
広島のスタート地点は原爆の子の像前だ。
なんとか自分たちの手で燃えた鶴を元通りまでいかなくとも
少しでも元の姿に戻したい・・・。
2月18日、長崎ピースラリー実行委員会代表のポリスへ電話した。
「広島へ走ろうや、俺たちは走らんといけんやろ?」
「走りましょう!」
この日、逆鶴ラリーをやることに決定した。
もうひとつの鶴ラリー
俺たちはこう呼ぶことにした。
この日からみんなへの呼びかけが始まった。
”3月21日、原爆の子の像へ折鶴をラリーします!”
ホームページやバイブズ紙面で呼びかけた。
ラリーまで1ヶ月どれだけの人が参加してくれるのか?
どれだけの折鶴が集まるんだろうか?
不安だった・・・。
しかし、日を追うことに寄せられる応援や賛同のメッセージと折鶴。
不安は日々薄れていった。
3月9日・10日
ZANGE ミーティングでも折鶴を集めた。
21日に走れないバイカーたちが
沢山の折鶴を運んでくれた。
会場でも折鶴を折ってくれるバイカーたちもたくさんいた。
受付ブースはみんなが運んできた折鶴で綺麗だった。
集まった折鶴は1万羽を超えた。
みんなの心に確実に根付く平和への気持ちを
改めて感じた。
この後も長崎、小倉へと全国から折鶴が送られてくる・・・。
3月20日
告知では21日の鶴ラリーがメインだったが、
この日がもうひとつの鶴ラリーのスタートだ。
ファーウエストロングライダースMCのメンバーが
長崎をPM8時出発する。
いつもは長崎ピースラリーで俺たちを迎えてくれる彼らは
鶴ラリー初参加でもある。
ただ心配だったのはトラブルチャンプのポリスが走る・・・ことだった(笑)
しかし、これが現実となる(爆)
高速道路にのってまもなくエキゾーストパイプの取り付けボルトが飛んでいったのだった。
厄介なことにヘッド側のピッチを以前なめたためヘリサートを使っていたのだが
それごと飛んで行ったようだ。
応急処置(針金で固定)でなんとか走れるとの事だ。
時刻はPM9:00
ショップもしまっている。
周りの仲間もパーツを持っていない・・・・。
最悪、明日は車だね なんて言ったけど何とかしてやりたかった。
ショップの社長の自宅へ電話した。
事情を話すと「パーツあるから店開けてあげるよ。」て言ってくれた。
早速、ショップへGO!
パーツを受け取り自宅で待機。
AM12:00 無事ラリー一行は小倉へ到着
だいさくの職場にてポリス号の修理をする。
なんとか大丈夫そうだ。
よかった!
AM3:00就寝
21日
AM 6:00起床
起きてから天気予報ばかり見る。
やっぱり雨かあ・・・。
カーテンをあけ外を見る。
降っていない(ニヤ)
みんなでZANGEミーティングで集まった折鶴と送られてきた折鶴を車へ積み込む。
と、同時に雨が降り出した。
1回目の鶴ラリーを思い出した。
もうひとつの鶴ラリーの1回目も同じになった。
また、試練か・・・。
AM 7:20 広島へ向けスタート!
雨脚は一段と激しくなる。おまけに風も。
高速へ乗り、最初の合流地点のめかりSAへ到着。
そこにはこのラリーをいっしょに走ろうとバイカーたちが
すでに待っていた。
それも地元だけではなく熊本からも・・・。
正直、この雨の中おまけに日帰りで
参加するバイカーもほとんどいないだろうと思っていた。
感動だった。
そこへ1台のハーレーがやってきた。
広島のショージさんだった。
広島からこのラリーに参加しに来たのだ。
鳥肌が立った。
俺たちはこの悪天候の中走る勇気と力をもらった気がした。
みんなで無事に平和公園へ届けよう!!
13台のバイクと1台の車で改めてスタートした。
相変わらずの雨に加え突風が吹く中走り続けた。
佐波川SAで給油と少しの休憩を取る。
みんなの顔には笑顔が見える。
後半分がんばろう。
この悪天候にもかかわらず
なぜだか俺は走っていることが楽しかった。
AM11:15 廿日市IC到着
予定より15分遅れ。
あの中を走ってきて15分だけの遅れだ。
ここからは広島のスタッフが先導してくれる。
みんな、あと少しだからね。
がんばろう!
広島バイパス佐方SA
本当ならここで合流して出発の予定だったが
俺たちが遅れたため、あらかじめ佐方SAのスタッフに
停車しないで合流できるように準備をお願いしていた。
佐方では沢山のバイカーが待っていた。
その横を抜けながら手を振る。
SAを抜けバイパスを平和公園へ向け走る。
俺はバイクの先頭を走っていた。
すぐ後にポリスが走っていたので横に並びバックミラーを見て!と合図を送る。
後は長く伸びたバイクの列がつながっている。
あまりの感動に涙が出た。
目の前に平和公園が見えてきた。
「戻ってきたよ」ってメットの中で言った。
平和公園には広島のバイカーたちが誘導してくれていた。
このラリーを知り
地元バイカーで呼びかけスタッフを集めてくれた。
バイクの駐車場確保もそうだ。
広島のみんなの思いがしっかりと伝わってきた。
この地元スタッフなしでは今回のラリーの成功はなかっただろう。
臨時駐輪場へ誘導してもらう。
公園内はエンジン停止。
みんなが助け合ってバイクを押す。
それぞれバイクを止め、カッパを脱ぐ。
みんなそれぞれの折鶴をバイクから降ろす。
車に満載の折鶴も分担して運んでもらう。
原爆慰霊碑前に集合する。
ポリスがあいさつする。
いきさつ、ここまでの道のり、思い・・・。
感極まって言葉に詰まる。
その気持ちわかるよ。
走った仲間はみんな同じだろう。
全員で黙祷する。
原爆の子の像へと歩き出す・・・。
原爆の子の像前には沢山の折鶴が供えられていた。
あれから1ヶ月、全国から届けられた折鶴だ。
そこに鶴ラリーの折鶴もお供えする。
みんなそれぞれに願いと祈りを込めた折鶴をお供えした。
この日はゴッドブレスと仲間のみんなも集まっていた。
ゴッドブレスは原爆の子の像のモデルとなった
佐々木貞子さんの甥の祐滋がボーカルをしているバンドで
俺たちがバイクを通じて平和であることを伝えているように
彼らは音楽を通じて伝えている。
彼らも折鶴を供えようと呼びかけていた。
みんなで彼らの歌を聴いた。
鶴ラリーに参加してくれたみんなにも彼らのメッセージは届いただろうか。
最後にみんなで記念撮影した。
みんないい顔していた。
もうひとつの鶴ラリーで集まった折鶴は
放火された5万羽の折鶴を上回る6万羽を超えました。
みなさんの暖かいご協力に心から感謝いたします。
また、沢山の勇気を皆さんからいただきました。
大雨、強風の高速道路走行という過酷な状況だったにもかかわらず、
1台の事故もなく無事にこのラリーを終えることができたのも
皆さんの心が私たちを守ってくれたに違いないと思っています。
普段、なかなか意識することはありませんが
私たちの生活は平和な日常の上に成り立っています。
この平和は与えられるものではなく
自分たちの手で守って行かなければなりません。
悲惨な過去の歴史を忘れないこと
それが平和な世界につながっていくと思います。
いつまでも平和な世界が続きますように・・・
こころから感謝を込めて
本当にありがとう!


END
